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特急のプレートを2枚掲げ、梅田~河原町間を十三、大宮、烏丸しか停まらなかった2800系はとてもカッコよかったです。
大宮駅の最後部のドアカットのステッカーが貼られていたのも一つの思い出です。
@@user-Yoh.Iステッカー貼ってありましたね
京阪も、阪急京都線は元々自分らが敷いた路線(新京阪線)だけに、負けられない気持ちが強かったんだろう。
実際、この2800系の登場までは、京阪が優勢な状況が続いていたようですね。
小学生のとき千里に住んでいた自分としては、京都線のロマンスシートにはものすごく憧れたもんです。今でも外観シンプルで中身は高級だった2800系は古き良き時代の名車です。
編成としては1995年に引退したが一部の車両は2300系に組み込まれて21世紀に入ってからも生き続けた。あと震災後に3000系に組み込まれた車両もある。
2800系に対して悲しい話しとなっているけど大阪万博を境に京都線沿線の土地開発により利用者増加の時代に活躍した車両です。梅田・十三・大宮・烏丸・京都河原町を全速力で走り続けた車両であり7編成しかありませんでしたが立派な特急車両でした。小さい頃急行として平日の夕方ラッシュ時に現れたり、土曜日の昼間現れたりして乗れる嬉しさがありました。3扉化されてからも冷房の吹き出し口の形状は昔のままだったので懐かしく思って乗っていました。5300系や6300系にはない味のある車両でしたよ。
3扉化後も、連窓が織りなす独特の美しい側面が印象的だった2800系🤎
私は昭和から平成に跨がる時代に高校通学で京阪を利用していましたが京阪の元特急車両の一般改造車は3扉のうち中間扉が両開きで違和感があったのに対し、阪急2800系はパッと見た限り元から3扉だったように見えました。
記憶にあるのは3扉で〇急の看板を付けて急行運用に就く姿なので、特急時代の写真、とくに車内の写真は初めて見るもので嬉しく思いました。
2800系と6300系、どちらも素晴らしい特急車でした。ただ最後は全く違う人生でした。2800系は3扉化されて急行に格下げされ、最後は普通、嵐山線で余生を送りました。6300系は扉位置の関係から3扉化できず、6351~6353Fと6354Fの京とれいん以外はすべて廃車となってしまいました。
つい数日前に阪急電鉄鉄道ファンクラブ会報最新号が届いたばかりですが、6354Fならびに朝ラッシュ時のお務めを果たしていた7300系増結用2連×3本はそれぞれ、現在も休車扱いになっています(3324率いる7両と単車の5809号車の計8両が廃車となっている)。
@@rhscm989 7300系は神宝線の車両と寸法が違うから、能勢電にも譲渡出来ない。したがって廃車の運命を辿るのでしょうか。6354Fの京とれいんも今日正雀車庫の前を車で通った際、貫通扉が何かで覆われていました。いよいよ終焉の時を迎えましたかね❓
なお京とれいんも廃車された模様()
ナレーションの声がイラッとする。普通の声で解説してほしい。
7300系の増結車は7851を組み込んで7連として走り始めた模様
6:00冷房装置の取り換えは編成全体ではなく、制御電動車のみです。菱形パンタグラフ2機搭載した為、室外機が3機しか搭載できませんでした。2扉かつ十三〜大宮間無停車では弱冷車相当でした。
国鉄の新快速117系が登場するまでは阪急京都線の十三~大宮間ノンストップ走行ダブルヘッドマークの2800系特急が京阪間では際立っていた、という話を聞きましたね。
実は元々京阪3000系は阪急2800系の部品取り(座席部分)目的で富山地鉄が購入を行なったものの、こっちの方がドアもそのまま、車体劣化も少ない事から2800系をキャンセルして3000系導入に切り替えてます。
京都線特急のみが許された2枚ヘッドマークかっこいいな。
隣の京阪1900系が長生きしたのとは対照的ですね。
やはり長距離にわたっての110km/h運転は相当負担が大きいのでしょうね…
京阪1900系は格下げ改造後も臨時と代走で特急運用に入る事が有り5両固定編成化後も運用末期になると一部の編成が特急色に戻され臨時特急の運用が有り最後まで特急運用の縁が切れ無かった名車ですね!
阪神淡路大震災時の神戸線車両不足に対応し、廃車間近の2842号車だったか、3072Fに組み込まれて電動車として(異形式編入車としては珍しく)今津北線で活躍という異例の最終場面もありました
そう言えば1997年4月15日の「阪急電鉄 鉄道ファンクラブ」会員募集開始直前というか、同年3月27日付で神戸線(今津北線)で余生を送っていた最後の2800系車両(但し編成単位ではなく、単車扱い)がそれを待たずして消えてしまい、1997年度初日時点で残ったのは2305編成に組み込まれた中間車わずか3両だけになってしまいました。
物心ついて最初に乗った阪急が2800だったので、自分にとっての阪急の原点は2800でしたその後数年して6300が出て、その白屋根や内装に「新型!新型!」と喜んでいた事をついこないだの事のように覚えています大宮駅を出発し西院駅を通過してすぐに地上に出て「次は十三」のアナウンスを聞くと、とても開放的な気分になったのも懐かしいです
廃車になった2800系を2扉に復元し車体のみ譲り受けようと、富山地方鉄道が計画していました。座席は同じ頃廃車になった京阪3000系のものを使用すべく京阪に見に行って、京阪3000系の車体を見たところ、手入れの良さに感心し、京阪3000系車体丸ごと購入に変更され、阪急2800系車体の富山地鉄譲渡は中止されました。京阪3000系車体は他社の下回りを組み合わせ、今も富山地方鉄道で活躍中です、
2扉の2800系が2枚の特急ヘッドマークを掲げ、大宮~十三間をノンストップでぶっ飛ばしていた雄姿はカッコよかったなあ。
福知山の加悦SL広場があった通りから少し離れた場所の喫茶店横に、電車住宅?として阪急2861が状態悪化で現存してる。
あの電車 30年近く前に譲渡されました直後に前を通り掛かった時はさよならの装飾がそのままでしたね。
@@NTTWEST3 先日再び前を通りましたが、色褪せや痛みがかなり激しくなってます。
京阪は長らく600ボルトで7両編成しか組めなかったが80年代に1500ボルト昇圧で8両編成も始まった。阪急2800系は3扉後京都線以外にもT車が組まれたこともある。
2800系は良い電車だなぁ京都線はええなぁと思ってました。神戸線は車輌自体は2000系、3000系、5000系と新形式投入が早かったものの、ロングシートばかりです。宝塚線は高速が出ないようにしてロングシート。京都線だけ何故優遇されるのか?と僻んだ事もあります(爆笑)。しかし、その後、京都線を利用するようになってから気がついたのは、特急、つまり速達タイプが少ない事を知りました。神戸線は日中10分ヘッドなのに、京都線は当時15分ヘッド。十三で乗り換えが間に合わないことも多々あります。もうスピード競争は辞めたんやね。阪急は今や京都線も神戸線も実質急行並みの停車駅、正直言って新快速の速さに慣れたら、三宮ー梅田間31分とかありえへんわ(^.^)。アレは20分で走りきらないと、JRに対抗出来ません。。今も京都線は京風の室内にした特急とかありますが、そういうのに、たまには乗りたい気持ちにはなりますが、やはり早さとフリークエントは重要。同じく京阪電車もわざわざ乗る気はしません。京橋駅か淀屋橋駅やもんなぁ。私には乗り換えが増えるだけ。まだ難波直通の阪神電車快速急行の方が(特急で)梅田行くか難波行くか、選択肢が増えてありがたいです。
2800系は7編成しかなかったけれど、当時は6編成で特急の運用は出来ていました。私が利用していた時も2800系以外は殆ど無かったです。その為6300系でも8編成が製造されただけでした。6330型が増備されたのは高架化工事によるスピードダウンの為の予備車確保の為でした。
「当時の阪急には三扉化改造の実績はなく」は間違い。1000系、1300系、710系、810系など2扉で登場した車両は既に三扉化改造されていた筈。特に710,810は1970年台初に3扉化。正確に言えば、2800の窓割は近鉄6431系、京阪600,630,700のように2枚1ユニットの窓のため中間扉を設置する際の改造が初だった。(京阪600~700は本線用では当初から3扉で登場)
失礼致しました、訂正ありがとうございます
2800系以前の改造車は戸袋窓がすりガラスか熱線防止ガラスかとか、扉の開き方向が他の製造時からの3扉車両と違うのでよくわかりますね。
これは懐かしいです2つドアが良い
710系以降特急専用者がなく、2800系を投入。その後昭和50年に6300系がデビューするまで特急専用車として活躍した。
Oldman阪急です。2扉クロスシートの旧1300系…「俺たち、完全に忘れ去られているぜ…」(笑)😅🍀
自分的には阪急の特急といえはヘッドマーク2つ付けた2800系だ!
04:20 中津のセカイチョービル、懐かしいな。
頭にアイボリー帯を巻き始めたのは2800系じゃなくて6300系だったっけ?
2800系登場時,古豪100系(P6)は現役。新旧のスターが揃い梅田⇔河原町39分(十三⇔大宮無停車)。阪急の黄金期✌
7:29 そして6両で嵐山線運用もこなせる「便利屋」。最近では「京とれいん雅洛た」にまで。
1700系からずっと特急一点豪華主義の京阪に「ロマンスカー」の概念すらなかった阪急が果敢に挑んだ。2800系はその足跡に思えて仕方ないですよ。ある意味6300系よりも偉大と言いますか。
その通りですね。京都線特急への貢献度でいえば2800系が一番でしょう。
京都線で保存されてる京都線車両はピー6だけかと。
@@tabibito6330 さま。車籍はないですが、2301-2352編成が正雀で動態保存されていますね。
一般車格下げ後に2800系に乗ったのが始まりで、(当時は急行・特急共西院・大宮駅とも上りは大阪寄り、下りは京都寄りが「1両締切扱い」)冷房装置も他系列と異なり「後付け感」のダクト露出型で、冷風吹き出し口が端の斜面に取り付けられていたため他系列の平天井とはならず、圧迫感のあるモノだったのを記憶しています。それと3扉改造の際に中央部の扉は必然的に戸袋窓が付いた形態になり、両開き車輛で「阪急唯一」の戸袋窓付きとなってしまいその分、台枠が著しく劣化したとも言われています。コンプレッサもD-3NHAからHB-2000に換装、晩年は本線普通車や支線区(千里線・嵐山線)の普通車にまで凋落。1980年代に1600系(旧型車の機器流用車)や1300系が相次いで廃却。それを追うように2800系の大部分が廃却され最晩年は神宝線系列の中間車に挿入され型式消滅。
昭和40年代の阪急京都本線の特急運用を担った2800系、前面の特急看板を2枚掲げて特急運用が輝かしい車両であった、後の6300系に特急運用の任務を託し3扉改造後もイメージをくずさなかったところがまさに阪急らしい、
オートカー2300系の足回りで京阪テレビカー、国鉄新快速を迎え撃った功績は大きい系式。地元名鉄の5000系シリーズから乗車している自分から見て、何だか親近感が持てる車内設備。
近鉄沿線住民だが、京都に行くのは何時も京阪特急だが、2800系も良い車両と思いますが、後の特急車両の方が注目されたな…
2800系は終始表示幕を設置されませんでしたね。by酒向正也
窓配置から後の京急2000系が連想された。旧600系のボックスシート車置換えで海水浴にも利用され、あちらも後継車の系式が登場したら、同じく3扉ロングシート化された。
西鉄2000形も同じ経緯をたどった車両ですね。
2800系は1編成だけ空気バネ台車を履いていたけどコイルバネ台車との乗り心地の差は結構あったのかな?
シンドラー式空気バネ台車を履いていたのは2804Fですね。ミンデン(FS-345)を履いていた他の2800系列と比較して乗り心地はかなり良く、突き上げの少ない柔らかな乗り心地だったと記憶しています。
KS-74の乗り心地はやはり良かったんですね。この台車の姉妹台車のKS-70は、京阪1900系が履いていましたが、こちらの乗り心地も良かったです。
2814Fは金属バネ車を2両挟んでいたので空気バネ車内と行き来すると乗り心地の差は歴然でした😅
大宮駅から十三駅までのノンストップはいまはないが桂駅通過はやはり乗りたかった思い出。
最後にさよなら運転した時に8両全部先頭車だったのは2両編成の残存車を集合させたからだったのかな
嵐山線の2編成を繋げた編成
@@谷元邦弘 動画内でも嵐山線って言ってたのでそれは理解しました
2800系のデビュー当初は違和感を覚えた乗客、中には「2扉の両開き車両とはゲテモノだ❗」と言う人までいたそうです。3扉改造は扉と窓の配置が絶妙で、元から改造後のことも考えて設計されていたのではないのかと言う人がいたとか。後に登場した6300系は車両の両端に扉を設置したため、一般車改造の際には5扉にするのだろうか、まさかそんなことはしないだろう…と某鉄道評論家の著書にありました。
そんなこと言ったら西武5000系初代レッドアローはどうすんですか。あれだって二扉両開きですよ。
マルーンカラーのロマンスカーでしたね。確か1993年に京都に旅行に行った時にのりました。
あっ!ごめんなさい🙇6300系の時に送信したつもりでしたが、次の2800系の方に送信してしまいました。🙇
新京阪時代は沿線人口も少なく、阪急に残る理由とされた阪急京都本線であったが、沿線のベッドタウン化が進行して乗客がとんでもない勢いで増えたんだろうな。当時の国鉄は利便性でも阪急に大きく劣っていたし。
新京阪時代は沿線人口も少なく →これうそやで。今昔マップってやつで当時の市街地見てみ。枚方寝屋川の京阪本線よりは明らかに高槻茨木の方が市街地に接してるで。人口統計も4~5万のうちの5千~1万程度やけど、高槻茨木の方が多い。東海道線も新幹線の代わりが今の新快速が走る列車線やから、いわはるとおり、利便性が大きく劣ってたし。阪急に残った理由はそれやなくて、役員多数決による強奪やろ。
@@asupe1255ただ、京阪が阪急に勝つ見通しはなかったですね...........。 やはり役員の数が尋常じゃないのと、元々力が違いすぎます。近鉄もそうですが、正直阪急と近鉄に勝てる関西私鉄は当時は皆無で、絶対的王者、言うなれば阪急と近鉄の言うことは絶対な為、どんなに京阪が抗ったところで、阪急に勝つ見込みはゼロでした。逆に、あれだけで収まってよかったようなものですよ。下手したら、京都線だけじゃなく、京阪の全路線が消えて京阪事態がなくなっていた可能性だって、ありえました。そしたら滋賀県なんかでは、阪急主導による開拓がなされ、滋賀県は史実よりも栄えていたかもしれませんけど。京阪は会社ごと消えて、琵琶湖周辺の開拓を阪急にやってもらいたかったですね。出来れば敦賀ぐらいまで線路延ばしてもらってもよかった。
@@asokai2346 どれだけの苦労で課題解決した産物でもお前のものは俺のものってスタンスが阪急なんやね。
@@asupe1255 関東の東急電鉄や東武鉄道と似たように、関西地区最強の大手民鉄が阪急でした。その気になれば、関東地区の大東急みたいな会社を関西に作ることだって可能です。あの当時、阪急に逆らう民鉄は阪神ぐらいでしたか。それでも阪神は敗れましたがね。
@@asokai2346 だから強かったら、何でも人が苦労して造ったもん取り上げてええんかって話してるやん。ほんまにおたくの思考回路はジャイアンやねん。
京急の2000系と似たような境遇だがあっちは意外と長く使われたな
乗り心地は非常に優れており、国鉄雷鳥号並みの静粛性とスピードだったので、100㎞以上のロングランも苦ではなかったように感じます。京阪神のみならず、もし名古屋急行電鉄なんかが出来て、阪急名古屋線があったら2800系で対抗するでしょうね。普通に梅田ー名古屋間乗っても苦痛は感じませんでした。お手洗いは欲しいですけどね。
3扉の2800系は扉部分にスペースが少なくバブル時のラッシュのときには乗りにくかった思い出が。
オートカーでしたか?阪急の顔の時代もありました。
とはいえ2800は正雀で綺麗に動態保存されてるだけ救いはある
それに引き換え、6300系は色あせて悲惨な姿になってます。是非とも手入れしてかつての姿で保存してほしいです。
Oldman阪急です。阪急京都線2800系に関する動画を掲載して下さって、大変感謝させて頂きますが、導入までの背景説明の原稿の中で1点、動画視聴者の皆様に対して、誤解を招く表現をなさっておられる箇所がございますので、可能であればコメント欄で訂正をお願いしたいと考えております。問題の箇所は、1:48以降〜『(2300系)ロングシート車においても十分な席数を確保すべく、【パイプ椅子を積み込むなど】していたものの、乗客の評判はすこぶる悪く〜(原文ママ)』とあり、画像にイラスト屋さんの「折り畳みパイプ椅子」の絵が使用されている箇所ですが、この部分の表現としては、鉄道常識的に考えて、線路に対して長手方向に座席が並ぶ「ロングシートを設置」の言葉が、より適切ではありませんか?私の経験上、現実の鉄道輸送において、ご乗客の着席数不足対応の目的で、可搬式の「パイプ椅子」を車内に積み込む事はありません。また、車内でのご乗客の安全性確保の点からも、あり得ないお話ですし、また、そのような史実もございません。貴重な時間と労力を投入されて、鉄道歴史に関する良動画を制作され、一般視聴者の皆様への視聴に供されているとしても、言葉の選択一つで、折角のご労作に傷を付ける結果にもなりますので、用語の使用に当たっては、適切な用語を選択される事を願ってやまないものであります。どうか、前述の主旨をご理解下さって、適切な対応をお取り頂ける事を願っております。🙏😌🍀
ご指摘して頂き誠にありがとうございます。折角なのでご指摘いただいた点も踏まえて改めて2800系の動画を作り直そうと思います。
@@hakusinnotakumi さんOldman阪急です。早速お返事下さって、ありがとうございます。☺️将来、改訂版の2800系動画を制作されるご予定との件、承知致しました。2800系については、過去、実際に乗務した電車でもあり、懐かしい電車でもあります。楽しみにお待ち申し上げておりますので、どうか宜しくお願い致します。😌🍀
富山地鉄への譲渡検討とは知らなかったが、最後まで京阪3000系との戦いが続くとは何か因縁めいた宿命があったのだろうか。😮
1964年にデビューして1995年に引退した阪急2800系でしたが様々なドラマを生みました。先にデビューした2300系を2扉にしてその間に転換式クロスシートにした画期的な車両でした。前年にデビューした競合する京阪1900系には負けたくはなかったものの1975年から1978年にかけて製造された屈指の花形6300系が投入されると2800系はその座を譲ることとなったが廃車には勿体なかったのか3ドア化と座席をロングシートに改造される羽目となってしまった。編成は当初5両で運転されていたがやがて7両ないし8両で見られるようになったがやがて7両編成で専ら普通だけしか見られなくなりましたが晩年は嵐山線で4:両編成で運転されるや否や一部の付随車では2300系に併結されるか神戸本線で5000系や5200系の中間車両に併結されることもありましたが1988年から1995年にかけて廃車となり現存しない。by酒向正也
一方の6300系は、後に9300系が投入されると、扉が車端部にあるために3扉化できずに、嵐山線に3編成、京とれいんに1編成、両数を減らして残され、あとは全て廃車になりました。つまり、特急以外全然役に立たなかった列車ですね。
2800系中間車が5200系の中間に組み込まれ特急運用に返り咲き側面の赤色の特急表示を出して走行する姿を梅田〜十三間で宝塚線の車内から見とれてしまいました。
@@user-Yoh.I そして京都本線で活躍する9300系は2003年から2010年にかけて88両投入、6300系を追い払うものの、一部の運用は7300系、8300系それに1300系というオールロングシートといった車両も活躍、更に2024年7月21日からは最新鋭の2300系(2代目)も投入、そのうち1両はプライベース(4号車)という有料座席指定車両で乗車券のほかに500円の座席指定券が別途必要でまた9300系も一部除き併結されている。by酒向正也
@@user-Yoh.I その9300系は2003年から2010年にかけてかねてから停車駅の増加で遅延が茶飯事となった2扉の6300系の代替として88両投入されました。また運用が不足する場合は7300系、8300系それに1300系といったロングシート車両も運用されています。また2024年7月21日からは最新鋭の2300系(2代目)も投入されました。そのうち1両(大阪梅田方から4両目)はプライベースという有料座席指定車両で乗車券のほかに500円の座席指定券が必要でまた9300系も一部を除き併結されている。by酒向正也
ロ、ロングシートにパイプ椅子!?
京阪でもやってましたよ、と言っても写真で見ただけですが···
富山地方鉄道は阪急電鉄の2800系を購入する予定でした。
阪急2800系は横から見ると京急2000系に似ている、後に3ドア化改造されてるところも一緒、但し改造は阪急の方が上手ですね。
京急2000より阪急2800のほうがはるかに古いので、それをいうなら、「京急2000系は阪急2800系に似ている」ですね。2扉から3扉に改造された点でも、両者は共通してますね。
西鉄2000形も晩年は3扉改造を受けましたね。3車とも特別料金不要特急に充てられた電車という共通点も。
2扉クロスシート車は途中駅に停まらないから可能だったんだよね京阪8000系だけ偶然にも生き残ってるけど、正直先は短いだろう
定速制御撤去は急行運用撤退時点でした。
2300系や2800系の制御装置は電動カム軸による抵抗制御と、定速制御を担う界磁電流の超多段制御を組み合わせたものでした。2300系は後に全編成が7300系と同等の界磁チョッパ制御に更新されましたが、2800系はオリジナルの制御装置が使用され続けました。保守部品入手の問題から定速制御こそ途中で使用停止されましたが、抵抗制御の部分は登場時のままで、最期まで界磁制御による回生ブレーキは動作していましたね。
2810,2840,2890の3両を追加して末尾の番号を一致するようになった。
2800系は京都線規格で製造されなかったために、神宝線で改造増結された。
次の新造形式が新2800系になると嬉しいな♪(^^ゞ👍🌈✨
もし、富山地鉄で復活していてらいまでも活躍していてんだろつか?
老朽化が進んでいたので結局長持ちしなかったかもしれませんね…
富山の阪急電車が見たかった。
車体特に中扉からボロくなってくたびれたからなぁ。
クロスシートのままだと今でも残ってたかもしれないけど、ロングシート化されてたのがな(地鉄側も適当なクロスシートがいる、てことで探したら京阪3000系が見つかって、打ち合わせしていったら「シートだけ、て言ってはりますけど、何なら車体もセットにしませんか?」てことでのどんでん返しでしたし)
京阪旧3000系を意識して6300系を導入した結果、早期に格下げされてしまった。同じ格下げされた京阪1900系とは逆に短命。6300系は長寿
コイツの三扉化では2連窓の所為で中央に新たに配されるドアの戸袋のスペースが確保できずに阪急では片開き時代以来の戸袋窓復活となり更に戸袋窓は日除け鎧窓の取り付けが出来ない事から青色のフィルムが貼られることに。
回生ブレーキ
特急ヘッドが2枚とか鉄オタ発生する元凶でしかない。
昔の鉄オタは分をわきまえていたから何も問題なかった。
内容は良いんだけど、なんか…日本語がわかりにくいというか…言い回しが回りくどいというか…
すいません、改善します
国電ニハない魅力
路線を労せずに手に入れた割には、サービスの向上にまで手を加えなかったのは、東急並みに、セコい。本社の怠慢。
エキスポ輸送が課されたし。他業種への進出もバスも茨木なんかが近鉄エリア、タクシーは茨木高槻交通がいて、独占エリアにできず。流通もニッショーなどを買う前はオアシスはなく、百貨店も河原町のはスミフのテナント。今は高槻阪急がJR高槻にできたけど
@@tabibito6330 ああ、近鉄バスが自社エリアに割って入ったのは、そういう経緯が有ったのですね。
阪急は西の東急ぞw
今度新しく走る新2300系の電車何で新2800形にしなかったのかな?そしてこの当時私は2300系と2800形を比べると2800形のほうが良い様に思ったな?
特急のプレートを2枚掲げ、梅田~河原町間を十三、大宮、烏丸しか停まらなかった2800系はとてもカッコよかったです。
大宮駅の最後部のドアカットのステッカーが貼られていたのも一つの思い出です。
@@user-Yoh.Iステッカー貼ってありましたね
京阪も、阪急京都線は元々自分らが敷いた路線(新京阪線)だけに、負けられない気持ちが強かったんだろう。
実際、この2800系の登場までは、京阪が優勢な状況が続いていたようですね。
小学生のとき千里に住んでいた自分としては、京都線のロマンスシートにはものすごく憧れたもんです。今でも外観シンプルで中身は高級だった2800系は古き良き時代の名車です。
編成としては1995年に引退したが一部の車両は2300系に組み込まれて21世紀に入ってからも生き続けた。
あと震災後に3000系に組み込まれた車両もある。
2800系に対して悲しい話しとなっているけど大阪万博を境に京都線沿線の土地開発により利用者増加の時代に活躍した車両です。
梅田・十三・大宮・烏丸・京都河原町を全速力で走り続けた車両であり7編成しかありませんでしたが立派な特急車両でした。
小さい頃急行として平日の夕方ラッシュ時に現れたり、土曜日の昼間現れたりして乗れる嬉しさがありました。
3扉化されてからも冷房の吹き出し口の形状は昔のままだったので懐かしく思って乗っていました。
5300系や6300系にはない味のある車両でしたよ。
3扉化後も、連窓が織りなす独特の美しい側面が印象的だった2800系🤎
私は昭和から平成に跨がる時代に高校通学で京阪を利用していましたが京阪の元特急車両の一般改造車は3扉のうち中間扉が両開きで違和感があったのに対し、阪急2800系はパッと見た限り元から3扉だったように見えました。
記憶にあるのは3扉で〇急の看板を付けて急行運用に就く姿なので、
特急時代の写真、とくに車内の写真は初めて見るもので嬉しく思いました。
2800系と6300系、どちらも素晴らしい特急車でした。
ただ最後は全く違う人生でした。
2800系は3扉化されて急行に格下げされ、最後は普通、嵐山線で余生を送りました。
6300系は扉位置の関係から3扉化できず、6351~6353Fと6354Fの京とれいん以外はすべて廃車となってしまいました。
つい数日前に阪急電鉄鉄道ファンクラブ会報最新号が届いたばかりですが、6354Fならびに朝ラッシュ時のお務めを果たしていた7300系増結用2連×3本はそれぞれ、現在も休車扱いになっています(3324率いる7両と単車の5809号車の計8両が廃車となっている)。
@@rhscm989 7300系は神宝線の車両と寸法が違うから、能勢電にも譲渡出来ない。
したがって廃車の運命を辿るのでしょうか。
6354Fの京とれいんも今日正雀車庫の前を車で通った際、貫通扉が何かで覆われていました。
いよいよ終焉の時を迎えましたかね❓
なお京とれいんも廃車された模様()
ナレーションの声がイラッとする。
普通の声で解説してほしい。
7300系の増結車は7851を組み込んで7連として走り始めた模様
6:00冷房装置の取り換えは編成全体ではなく、制御電動車のみです。
菱形パンタグラフ2機搭載した為、室外機が3機しか搭載できませんでした。2扉かつ十三〜大宮間無停車では弱冷車相当でした。
国鉄の新快速117系が登場するまでは阪急京都線の十三~大宮間ノンストップ走行ダブルヘッドマークの2800系特急が京阪間では際立っていた、という話を聞きましたね。
実は元々京阪3000系は阪急2800系の部品取り(座席部分)目的で富山地鉄が購入を行なったものの、こっちの方がドアもそのまま、車体劣化も少ない事から2800系をキャンセルして3000系導入に切り替えてます。
京都線特急のみが許された2枚ヘッドマーク
かっこいいな。
隣の京阪1900系が長生きしたのとは対照的ですね。
やはり長距離にわたっての110km/h運転は相当負担が大きいのでしょうね…
京阪1900系は格下げ改造後も臨時と代走で特急運用に入る事が有り5両固定編成化後も運用末期になると一部の編成が特急色に戻され臨時特急の運用が有り最後まで特急運用の縁が切れ無かった名車ですね!
阪神淡路大震災時の神戸線車両不足に対応し、廃車間近の2842号車だったか、3072Fに組み込まれて電動車として(異形式編入車としては珍しく)今津北線で活躍という異例の最終場面もありました
そう言えば1997年4月15日の「阪急電鉄 鉄道ファンクラブ」会員募集開始直前というか、同年3月27日付で神戸線(今津北線)で余生を送っていた最後の2800系車両(但し編成単位ではなく、単車扱い)がそれを待たずして消えてしまい、1997年度初日時点で残ったのは2305編成に組み込まれた中間車わずか3両だけになってしまいました。
物心ついて最初に乗った阪急が2800だったので、自分にとっての阪急の原点は2800でした
その後数年して6300が出て、その白屋根や内装に「新型!新型!」と喜んでいた事をついこないだの事のように覚えています
大宮駅を出発し西院駅を通過してすぐに地上に出て「次は十三」のアナウンスを聞くと、とても開放的な気分になったのも懐かしいです
廃車になった2800系を2扉に復元し車体のみ譲り受けようと、富山地方鉄道が計画していました。座席は同じ頃廃車になった京阪3000系のものを使用すべく京阪に見に行って、京阪3000系の車体を見たところ、手入れの良さに感心し、京阪3000系車体丸ごと購入に変更され、
阪急2800系車体の富山地鉄譲渡は中止されました。
京阪3000系車体は他社の下回りを組み合わせ、今も
富山地方鉄道で活躍中です、
2扉の2800系が2枚の特急ヘッドマークを掲げ、大宮~十三間をノンストップでぶっ飛ばしていた雄姿はカッコよかったなあ。
福知山の加悦SL広場があった通りから少し離れた場所の喫茶店横に、電車住宅?として阪急2861が状態悪化で現存してる。
あの電車 30年近く前に譲渡されました
直後に前を通り掛かった時はさよならの装飾がそのままでしたね。
@@NTTWEST3
先日再び前を通りましたが、色褪せや痛みがかなり激しくなってます。
京阪は長らく600ボルトで7両編成しか組めなかったが80年代に1500ボルト昇圧で8両編成も始まった。
阪急2800系は3扉後京都線以外にもT車が組まれたこともある。
2800系は良い電車だなぁ京都線はええなぁと思ってました。神戸線は車輌自体は2000系、3000系、5000系と新形式投入が早かったものの、ロングシートばかりです。宝塚線は高速が出ないようにしてロングシート。京都線だけ何故優遇されるのか?と僻んだ事もあります(爆笑)。
しかし、その後、京都線を利用するようになってから気がついたのは、特急、つまり速達タイプが少ない事を知りました。神戸線は日中10分ヘッドなのに、京都線は当時15分ヘッド。十三で乗り換えが間に合わないことも多々あります。もうスピード競争は辞めたんやね。
阪急は今や京都線も神戸線も実質急行並みの停車駅、正直言って新快速の速さに慣れたら、三宮ー梅田間31分とかありえへんわ(^.^)。アレは20分で走りきらないと、JRに対抗出来ません。。今も京都線は京風の室内にした特急とかありますが、そういうのに、たまには乗りたい気持ちにはなりますが、やはり早さとフリークエントは重要。同じく京阪電車もわざわざ乗る気はしません。京橋駅か淀屋橋駅やもんなぁ。私には乗り換えが増えるだけ。まだ難波直通の阪神電車快速急行の方が(特急で)梅田行くか難波行くか、選択肢が増えてありがたいです。
2800系は7編成しかなかったけれど、当時は6編成で特急の運用は出来ていました。私が利用していた時も2800系以外は殆ど無かったです。その為6300系でも8編成が製造されただけでした。6330型が増備されたのは高架化工事によるスピードダウンの為の予備車確保の為でした。
「当時の阪急には三扉化改造の実績はなく」は間違い。1000系、1300系、710系、810系など2扉で登場した車両は既に三扉化改造されていた筈。特に710,810は1970年台初に3扉化。
正確に言えば、2800の窓割は近鉄6431系、京阪600,630,700のように2枚1ユニットの窓のため中間扉を設置する際の改造が初だった。(京阪600~700は本線用では当初から3扉で登場)
失礼致しました、訂正ありがとうございます
2800系以前の改造車は戸袋窓がすりガラスか熱線防止ガラスかとか、扉の開き方向が他の製造時からの3扉車両と違うのでよくわかりますね。
これは懐かしいです
2つドアが良い
710系以降特急専用者がなく、2800系を投入。
その後昭和50年に6300系がデビューするまで特急専用車として活躍した。
Oldman阪急です。
2扉クロスシートの旧1300系…
「俺たち、完全に忘れ去られているぜ…」(笑)😅🍀
自分的には阪急の特急といえはヘッドマーク2つ付けた2800系だ!
04:20 中津のセカイチョービル、懐かしいな。
頭にアイボリー帯を巻き始めたのは2800系じゃなくて6300系だったっけ?
2800系登場時,古豪100系(P6)は現役。新旧のスターが揃い梅田⇔河原町39分(十三⇔大宮無停車)。阪急の黄金期✌
7:29 そして6両で嵐山線運用もこなせる「便利屋」。
最近では「京とれいん雅洛た」にまで。
1700系からずっと特急一点豪華主義の京阪に「ロマンスカー」の概念すらなかった阪急が果敢に挑んだ。2800系はその足跡に思えて仕方ないですよ。ある意味6300系よりも偉大と言いますか。
その通りですね。京都線特急への貢献度でいえば2800系が一番でしょう。
京都線で保存されてる京都線車両はピー6だけかと。
@@tabibito6330 さま。車籍はないですが、2301-2352編成が正雀で動態保存されていますね。
一般車格下げ後に2800系に乗ったのが始まりで、(当時は急行・特急共西院・大宮駅とも上りは大阪寄り、下りは京都寄りが「1両締切扱い」)冷房装置も他系列と異なり「後付け感」のダクト露出型で、冷風吹き出し口が端の斜面に取り付けられていたため他系列の平天井とはならず、圧迫感のあるモノだったのを記憶しています。それと3扉改造の際に中央部の扉は必然的に戸袋窓が付いた形態になり、両開き車輛で「阪急唯一」の戸袋窓付きとなってしまいその分、台枠が著しく劣化したとも言われています。コンプレッサもD-3NHAからHB-2000に換装、晩年は本線普通車や支線区(千里線・嵐山線)の普通車にまで凋落。1980年代に1600系(旧型車の機器流用車)や1300系が相次いで廃却。それを追うように2800系の大部分が廃却され最晩年は神宝線系列の中間車に挿入され型式消滅。
昭和40年代の阪急京都本線の特急運用を担った2800系、前面の特急看板を2枚掲げて特急運用が輝かしい車両であった、後の6300系に特急運用の任務を託し3扉改造後もイメージをくずさなかったところがまさに阪急らしい、
オートカー2300系の足回りで京阪テレビカー、国鉄新快速を迎え撃った功績は大きい系式。地元名鉄の5000系シリーズから乗車している自分から見て、何だか親近感が持てる車内設備。
近鉄沿線住民だが、京都に行くのは何時も京阪特急だが、2800系も良い車両と思いますが、後の特急車両の方が注目されたな…
2800系は終始表示幕を設置されませんでしたね。by酒向正也
窓配置から後の京急2000系が連想された。旧600系のボックスシート車置換えで海水浴にも利用され、あちらも後継車の系式が登場したら、同じく3扉ロングシート化された。
西鉄2000形も同じ経緯をたどった車両ですね。
2800系は1編成だけ空気バネ台車を履いていたけど
コイルバネ台車との乗り心地の差は結構あったのかな?
シンドラー式空気バネ台車を履いていたのは2804Fですね。ミンデン(FS-345)を履いていた他の2800系列と比較して乗り心地はかなり良く、突き上げの少ない柔らかな乗り心地だったと記憶しています。
KS-74の乗り心地はやはり良かったんですね。
この台車の姉妹台車のKS-70は、京阪1900系が履いていましたが、こちらの乗り心地も良かったです。
2814Fは金属バネ車を2両挟んでいたので空気バネ車内と行き来すると乗り心地の差は歴然でした😅
大宮駅から十三駅までのノンストップはいまはないが桂駅通過はやはり乗りたかった思い出。
最後にさよなら運転した時に8両全部先頭車だったのは
2両編成の残存車を集合させたからだったのかな
嵐山線の2編成を繋げた編成
@@谷元邦弘 動画内でも嵐山線って言ってたのでそれは理解しました
2800系のデビュー当初は違和感を覚えた乗客、中には「2扉の両開き車両とはゲテモノだ❗」と言う人までいたそうです。3扉改造は扉と窓の配置が絶妙で、元から改造後のことも考えて設計されていたのではないのかと言う人がいたとか。後に登場した6300系は車両の両端に扉を設置したため、一般車改造の際には5扉にするのだろうか、まさかそんなことはしないだろう…と某鉄道評論家の著書にありました。
そんなこと言ったら西武5000系初代レッドアローはどうすんですか。あれだって二扉両開きですよ。
マルーンカラーのロマンスカーでしたね。
確か1993年に京都に旅行に行った時にのりました。
あっ!ごめんなさい🙇
6300系の時に送信したつもりでしたが、次の2800系の方に送信してしまいました。🙇
新京阪時代は沿線人口も少なく、阪急に残る理由とされた阪急京都本線であったが、沿線のベッドタウン化が進行して乗客がとんでもない勢いで増えたんだろうな。当時の国鉄は利便性でも阪急に大きく劣っていたし。
新京阪時代は沿線人口も少なく
→これうそやで。今昔マップってやつで当時の市街地見てみ。枚方寝屋川の京阪本線よりは明らかに高槻茨木の方が市街地に接してるで。
人口統計も4~5万のうちの5千~1万程度やけど、高槻茨木の方が多い。
東海道線も新幹線の代わりが今の新快速が走る列車線やから、いわはるとおり、利便性が大きく劣ってたし。
阪急に残った理由はそれやなくて、役員多数決による強奪やろ。
@@asupe1255ただ、京阪が阪急に勝つ見通しはなかったですね...........。 やはり役員の数が尋常じゃないのと、元々力が違いすぎます。近鉄もそうですが、正直阪急と近鉄に勝てる関西私鉄は当時は皆無で、絶対的王者、言うなれば阪急と近鉄の言うことは絶対な為、どんなに京阪が抗ったところで、阪急に勝つ見込みはゼロでした。逆に、あれだけで収まってよかったようなものですよ。下手したら、京都線だけじゃなく、京阪の全路線が消えて京阪事態がなくなっていた可能性だって、ありえました。そしたら滋賀県なんかでは、阪急主導による開拓がなされ、滋賀県は史実よりも栄えていたかもしれませんけど。京阪は会社ごと消えて、琵琶湖周辺の開拓を阪急にやってもらいたかったですね。出来れば敦賀ぐらいまで線路延ばしてもらってもよかった。
@@asokai2346 どれだけの苦労で課題解決した産物でもお前のものは俺のものってスタンスが阪急なんやね。
@@asupe1255 関東の東急電鉄や東武鉄道と似たように、関西地区最強の大手民鉄が阪急でした。その気になれば、関東地区の大東急みたいな会社を関西に作ることだって可能です。あの当時、阪急に逆らう民鉄は阪神ぐらいでしたか。それでも阪神は敗れましたがね。
@@asokai2346 だから強かったら、何でも人が苦労して造ったもん取り上げてええんかって話してるやん。
ほんまにおたくの思考回路はジャイアンやねん。
京急の2000系と似たような境遇だがあっちは意外と長く使われたな
乗り心地は非常に優れており、国鉄雷鳥号並みの静粛性とスピードだったので、100㎞以上のロングランも苦ではなかったように感じます。京阪神のみならず、もし名古屋急行電鉄なんかが出来て、阪急名古屋線があったら2800系で対抗するでしょうね。普通に梅田ー名古屋間乗っても苦痛は感じませんでした。お手洗いは欲しいですけどね。
3扉の2800系は扉部分にスペースが少なくバブル時のラッシュのときには乗りにくかった思い出が。
オートカーでしたか?阪急の顔の時代もありました。
とはいえ2800は正雀で綺麗に動態保存されてるだけ救いはある
それに引き換え、6300系は色あせて悲惨な姿になってます。
是非とも手入れしてかつての姿で保存してほしいです。
Oldman阪急です。
阪急京都線2800系に関する動画を掲載して下さって、大変感謝させて頂きますが、導入までの背景説明の原稿の中で1点、動画視聴者の皆様に対して、誤解を招く表現をなさっておられる箇所がございますので、可能であればコメント欄で訂正をお願いしたいと考えております。
問題の箇所は、
1:48以降〜『(2300系)ロングシート車においても十分な席数を確保すべく、【パイプ椅子を積み込むなど】していたものの、乗客の評判はすこぶる悪く〜(原文ママ)』とあり、画像にイラスト屋さんの「折り畳みパイプ椅子」の絵が使用されている箇所ですが、
この部分の表現としては、鉄道常識的に考えて、線路に対して長手方向に座席が並ぶ「ロングシートを設置」の言葉が、より適切ではありませんか?
私の経験上、現実の鉄道輸送において、ご乗客の着席数不足対応の目的で、可搬式の「パイプ椅子」を車内に積み込む事はありません。
また、車内でのご乗客の安全性確保の点からも、あり得ないお話ですし、また、そのような史実もございません。
貴重な時間と労力を投入されて、鉄道歴史に関する良動画を制作され、一般視聴者の皆様への視聴に供されているとしても、言葉の選択一つで、折角のご労作に傷を付ける結果にもなりますので、用語の使用に当たっては、適切な用語を選択される事を願ってやまないものであります。
どうか、前述の主旨をご理解下さって、適切な対応をお取り頂ける事を願っております。🙏😌🍀
ご指摘して頂き誠にありがとうございます。折角なのでご指摘いただいた点も踏まえて改めて2800系の動画を作り直そうと思います。
@@hakusinnotakumi さん
Oldman阪急です。
早速お返事下さって、ありがとうございます。☺️
将来、改訂版の2800系動画を制作されるご予定との件、承知致しました。
2800系については、過去、実際に乗務した電車でもあり、懐かしい電車でもあります。
楽しみにお待ち申し上げておりますので、どうか宜しくお願い致します。😌🍀
富山地鉄への譲渡検討とは知らなかったが、最後まで京阪3000系との戦いが続くとは何か因縁めいた宿命があったのだろうか。😮
1964年にデビューして1995年に引退した阪急2800系でしたが様々なドラマを生みました。先にデビューした2300系を2扉にしてその間に転換式クロスシートにした画期的な車両でした。前年にデビューした競合する京阪1900系には負けたくはなかったものの1975年から1978年にかけて製造された屈指の花形6300系が投入されると2800系はその座を譲ることとなったが廃車には勿体なかったのか3ドア化と座席をロングシートに改造される羽目となってしまった。編成は当初5両で運転されていたがやがて7両ないし8両で見られるようになったがやがて7両編成で専ら普通だけしか見られなくなりましたが晩年は嵐山線で4:両編成で運転されるや否や一部の付随車では2300系に併結されるか神戸本線で5000系や5200系の中間車両に併結されることもありましたが1988年から1995年にかけて廃車となり現存しない。by酒向正也
一方の6300系は、後に9300系が投入されると、扉が車端部にあるために3扉化できずに、嵐山線に3編成、京とれいんに1編成、両数を減らして残され、あとは全て廃車になりました。つまり、特急以外全然役に立たなかった列車ですね。
2800系中間車が5200系の中間に組み込まれ特急運用に返り咲き側面の赤色の特急表示を出して走行する姿を梅田〜十三間で宝塚線の車内から見とれてしまいました。
@@user-Yoh.I そして京都本線で活躍する9300系は2003年から2010年にかけて88両投入、6300系を追い払うものの、一部の運用は7300系、8300系それに1300系というオールロングシートといった車両も活躍、更に2024年7月21日からは最新鋭の2300系(2代目)も投入、そのうち1両はプライベース(4号車)という有料座席指定車両で乗車券のほかに500円の座席指定券が別途必要でまた9300系も一部除き併結されている。by酒向正也
@@user-Yoh.I その9300系は2003年から2010年にかけてかねてから停車駅の増加で遅延が茶飯事となった2扉の6300系の代替として88両投入されました。また運用が不足する場合は7300系、8300系それに1300系といったロングシート車両も運用されています。また2024年7月21日からは最新鋭の2300系(2代目)も投入されました。そのうち1両(大阪梅田方から4両目)はプライベースという有料座席指定車両で乗車券のほかに500円の座席指定券が必要でまた9300系も一部を除き併結されている。by酒向正也
ロ、ロングシートにパイプ椅子!?
京阪でもやってましたよ、と言っても写真で見ただけですが···
富山地方鉄道は阪急電鉄の2800系を購入する予定でした。
阪急2800系は横から見ると京急2000系に似ている、後に3ドア化改造されてるところも一緒、但し改造は阪急の方が上手ですね。
京急2000より阪急2800のほうがはるかに古いので、それをいうなら、「京急2000系は阪急2800系に似ている」ですね。
2扉から3扉に改造された点でも、両者は共通してますね。
西鉄2000形も晩年は3扉改造を受けましたね。
3車とも特別料金不要特急に充てられた電車という共通点も。
2扉クロスシート車は途中駅に停まらないから可能だったんだよね
京阪8000系だけ偶然にも生き残ってるけど、正直先は短いだろう
定速制御撤去は急行運用撤退時点でした。
2300系や2800系の制御装置は電動カム軸による抵抗制御と、定速制御を担う界磁電流の超多段制御を組み合わせたものでした。2300系は後に全編成が7300系と同等の界磁チョッパ制御に更新されましたが、2800系はオリジナルの制御装置が使用され続けました。保守部品入手の問題から定速制御こそ途中で使用停止されましたが、抵抗制御の部分は登場時のままで、最期まで界磁制御による回生ブレーキは動作していましたね。
2810,2840,2890の3両を追加して末尾の番号を一致するようになった。
2800系は京都線規格で製造されなかったために、神宝線で改造増結された。
次の新造形式が新2800系になると嬉しいな♪(^^ゞ👍🌈✨
もし、富山地鉄で復活していてらいまでも活躍していてんだろつか?
老朽化が進んでいたので結局長持ちしなかったかもしれませんね…
富山の阪急電車が見たかった。
車体特に中扉からボロくなってくたびれたからなぁ。
クロスシートのままだと今でも残ってたかもしれないけど、ロングシート化されてたのがな(地鉄側も適当なクロスシートがいる、てことで探したら京阪3000系が見つかって、打ち合わせしていったら「シートだけ、て言ってはりますけど、何なら車体もセットにしませんか?」てことでのどんでん返しでしたし)
京阪旧3000系を意識して6300系を導入した結果、早期に格下げされてしまった。同じ格下げされた京阪1900系とは逆に短命。6300系は長寿
コイツの三扉化では2連窓の所為で中央に新たに配されるドアの戸袋のスペースが確保できずに阪急では片開き時代以来の戸袋窓復活となり更に戸袋窓は日除け鎧窓の取り付けが出来ない事から青色のフィルムが貼られることに。
回生ブレーキ
特急ヘッドが2枚とか鉄オタ発生する元凶でしかない。
昔の鉄オタは分をわきまえていたから何も問題なかった。
内容は良いんだけど、なんか…日本語がわかりにくいというか…言い回しが回りくどいというか…
すいません、改善します
国電ニハない魅力
路線を労せずに手に入れた割には、サービスの向上にまで手を加えなかったのは、東急並みに、セコい。本社の怠慢。
エキスポ輸送が課されたし。他業種への進出もバスも茨木なんかが近鉄エリア、タクシーは茨木高槻交通がいて、独占エリアにできず。流通もニッショーなどを買う前はオアシスはなく、百貨店も河原町のはスミフのテナント。今は高槻阪急がJR高槻にできたけど
@@tabibito6330 ああ、近鉄バスが自社エリアに割って入ったのは、そういう経緯が有ったのですね。
阪急は西の東急ぞw
今度新しく走る新2300系の電車何で新2800形にしなかったのかな?そしてこの当時私は2300系と2800形を比べると2800形のほうが良い様に思ったな?